Interview

修了生のその後

農業に優劣はない。あるのは、農業を続けたいという思いだけ

第4期 實取耕房

代表 實取 義洋

熊本県菊池市にある龍門でオーガニック農業を営む實取義洋(みとりよしひろ)氏。企業の参加がほとんどを占める中、唯一、個人事業主として参加。最終発表では、メンター陣から「4年間やってきた180の到達点」とも評された、緻密かつ想いの込められた事業アイデアを発表して頂きました。

畜産農家に生まれ、自身が長年取り組んできた環境活動と稲作に課題を感じ、中山間地域で農業を続ける農家に新しい”武器”をつくりたいという實取氏。稲作を通して救われた自身の経験を乗り越えて、これからは、農家が自信を持って農業を続けられる社会をつくる。そのための仕組みについて、そして、チームでの活動を通して何を得たのかを伺いました。

中山間地域の農家が、農業を諦めないために

ーメンター陣から大絶賛を受けた事業アイデアについて、ご自身ではどう感じていらっしゃるのか、アイデアの内容やそれが生まれるまでの経緯について教えて頂けますか?

實取氏「高い評価を頂けたのは、メンターの方々の的確なアドバイスと、一緒になって本気で取り組んでくれた県外パートナーに支えられたからこそだと思っています。おかげで、今回のプログラムで作り上げた事業アイデアには一切迷いがなく、とてもすっきりしています。他の参加企業の方々から学ぶことも多く、出会えてとても嬉しかったです。

生まれ故郷の菊池市龍門に戻ってオーガニック農業を始めてから、10年が経ちました。精神的にもしんどい時期に、一人で農業に向き合ったことで生きる幸せを感じ、自然に生かされていると改めて気付きました。『農 is know』という私のパーパスは、そうした経験から、県外パートナーの二人と一緒に導き出した言葉です。

ようやく美味しいお米が作れるようになって自信もついてきた一方で、実は、稲作によるメタン排出量がかなり大きく、環境に負荷を与えているという課題もありました。「里山がなくなっても誰も困らない」と認めたくない農家の本音と真剣に向き合うためにも、私のような中山間地域の農家が、農業を諦めないための”武器”を持てないだろうか。そのためのアイデアが、カーボンクレジット事業『SATONOU OFFSET』です」

温室効果ガスの排出削減量を国が認証し、適切に取引する「J−クレジット制度」を農業に取り入れるというアイデア

ー改めて、180にご参加頂いたきっかけや、当時の思いについて教えて下さい。

實取氏「私は個人事業主ですが、今参加しないと、絶対に後悔すると思ったんです。当時の私は、心のどこかで田舎の今後の可能性に絶望していて、現状のままで農業を続けていてはどうにもならない、中山間地域はいずれなくなってしまうと危機感を感じていました。自分自身や現状を変えたい、助けてもらいたいという気持ちもあって、参加を決めました。

オーガニック農家をしていて、周囲からは応援や励ましの言葉を頂くこともあるのですが、私自身が、オーガニックこそが正しいと思えない部分がありました。また、これからどうしていきたいのか、どんな課題があるのかについて本音で話せないような環境に、少しモヤモヤしていました。

どの農家さんもお金や時間をかけて、丹精込めて一生懸命、お米や野菜、果物をつくっています。私を含め、それぞれが農業をする土地や環境も違えば、知らないこともある中で、農薬を使ったりする人もいるだろうし、それは必要なことかもしれません」

實取氏「どんなやり方であっても、農業そのものに優劣はないという思いがずっとありました。けれど一方で、地域や社会全体の課題に対して向き合っていく必要もあって、一人で農業を続けていくことへの限界を感じていました。

だからこそ、180では県外パートナーの二人をはじめ、一緒に考えてくれる仲間がいることにありがたさを感じましたし、チームでの活動を通して、一人では得られない喜びも感じることができました」

一人ではない。仲間の存在とチームワークが生んだアイデア

ー洗練された事業アイデアに加えて、チームとしての一体感も非常に印象的でした。県外パートナーのお二人についてはいかがでしたか?

左が黒住奈生さん、右が佐々木秀仁さん

實取氏「最初の研修が終わった後、佐々木さんが龍門までバスを乗り継いで田んぼや畑を見に来てくれたんですよ。当時は私が二人に対して少し遠慮していた部分があったのですが、彼の真摯な姿勢を見て、遠慮するのはやめようと思いました。その頃から、二人をがっかりさせたくない、本気で取り組もうという気持ちが大きくなったように思います。

2回目での研修を終えたあとは、二人とも延泊して菊池まで来てくれました。プログラム中に私が東京にいった際は、娘と4人で食事もしましたよ。

『SATONOU OFFSET』をビジネスとして組み立てられたのは、黒住さんの言語化力のおかげです。佐々木さんは、誰よりも私の話をよく聞いてくれて、たくさん質問もしてくれました。当たり前すぎて説明不足になっていた部分を、辛抱強く何度も問いかけてくれたおかげで、誰にでも伝わる事業アイデアになったと思います」

当事者だけでなく、業界に関わる全ての人を巻き込んでいく

ー11月のリモート研修の後、アイデアの方向性が大きく変わりましたよね。なにかきっかけがあったのでしょうか?

實取氏「メンターの山口さんによるビジネスモデル構築の研修に加えて、180サミットで登壇されていた1期生の宮川さんの話を思い出したのがきっかけです。

農家ハンターの活動を聞いたことで、小さな問題であっても、全国で同じ課題や悩みを抱えている人はたくさんいる。そうした人たちの助けになれるような仕組みを作りたいと思ったんです。『当事者の課題を解決するのではなく、関わる人たちを巻き込む大きな仕組みをつくることが大切』という山口さんのアドバイスも、最終的な事業アイデアに大いに活きています。

大好きなお米も、脱炭素の話からすれば意外と環境負荷が高いんです。社会全体の環境意識が高くなっていけば、いずれは稲作が問題視される日が来るかも知れない。だからこそ『SATONOU OFFSET』のアイデアを実現して、そうした不安をひっくり返すことができれば、一気に日本中へと広がる可能性があります」

實取氏「研修がはじまった当初は、個人の農家としてできることを考え、私がかつて経験した精神的な課題にフォーカスしていて、どちらかと言えば内に向いていました。メンターの方々にそうした悩みを話しているときも、県外パートナーの二人は横でずっと聴いてくれていたんです。

恥ずかしがらずに、カッコつけずにとにかく自分の中にある思いや感情をすべて話したからこそ、振り切ることができて、新しい提案の方向性が見つかったんだと思います。

方向性が大きく変わってからは、以前にもまして本気になりましたね。既存の枠を外して考えるという山口さんのアドバイスを受けて、県外パートナーの二人には遠慮することなく、たくさんのことを調べてもらいました」

ー最終発表では、メンターの方々が前のめりになって聴いていたのが印象的でした。

實取氏「事業アイデアを組み立てる際も、二人には頼りっぱなしでした。最終発表で使用した資料も、ほとんどは県外パートナーの二人がつくってくれたんです。前日まで内容を組み替えたりしながら、私が思っていること、感じていることを形にしてくれました。本当に良いチームで、恵まれたと感じています。

当日はメンターの皆さん含め、その場にいた人がどう聴いているかまでは、とてもじゃありませんが意識できませんでした。緊張していましたね」

生まれ故郷にこだわるのではなく、仕組みを作って広げていく

ー180を終えて、今後はどのように活動される予定なのでしょうか?

實取氏「たくさんの方々に良い評価を頂いた分、ちゃんと形にしていきます。アイデアの実現は、県外パートナーの二人への恩返しでもあります。180が終わった今、二人とずっと今のチームのような関係性でいることは、現実的ではないと思っています。

私自身、過去に身銭を切って環境活動に精を出していた時期があります。でも、そうやって時間とお金をやりくりしながら続けていくことは、いくら意欲があって興味があっても難しい。

せっかく事業として形にするなら、二人に仕事として頼めるような形で実現したいんです。

妻や子どもに最終発表の動画を見せると、『褒めてもらったんだったら、しっかりやらなきゃね』と言われました。良い意味でプレッシャーになっていますよ」

ー最後に、最終発表を終えて今感じていらっしゃることについて、一言頂けますか?

實取氏「私の考えは、突飛な話ではないと思うんです。皆さんには評価して頂けた一方で、私の過去の経験がもとになっているので、実は、事業アイデアに対するインパクトはそれほど感じていないんです。黒住さんや佐々木さんをはじめ、周囲の方の反応を聞いて『すごいことなのか』と感じているほどです。

農家として、やる仕事はこれまでと何も変わりません。唯一違うのは、もう一人ではないということです。菊池にいる農家の知り合いにも少しずつ話していて、動き始めたら具体的なお手伝いをお願いするつもりです。早い段階で、国や行政とも話を進めていきたいですね。

私が住み、農業をしている龍門という場所だけにこだわるのはやめました。大切にしたいのは中山間地域です。日本全国へと広がる仕組みにするべく、今できることを少しずつ、仲間とともに進めていきます。

個人農家として180にご参加頂いた實取さん。プログラムの前半では自身と向き合い、本音で語り、やるべきことを模索されていました。「もう一人ではない」と嬉しそうに話す姿からは、オーガニック農業や環境活動といった、これまでの取り組みに感じていた限界から解放された清々しさを感じました。喫緊の課題である環境問題への取り組みが、熊本の中山間地域、菊池から始まる日はそう遠くありません。